--年--月--日(--) 記事No.
2009年01月02日(金) 記事No.13
A.D.2009年を迎えました。
A.D.とは、「アンノ・ドミニ」の略ですが、主(キリスト)の年(時代)という意味です。
すなわち、キリスト降誕を境に、
主キリストの時代の2009年目を迎えているという
意味になります。
世界の時代区分の基盤となられたキリスト
この方の主権のもとに、この新しい1年も歩めるのだと思うと
キリストを信じる者にとって、大変心強いものとなります。
「これもあれも神のなさること。」(伝道者7:12)
すべてはこの世界の創造主なる神様の御手にあること。
その方が悪いお方ではなく、
善なる神、愛の神であることを思うと
私たちはただ、この方の手に引かれて歩めば良いのだと
気持ちが楽になります。
あなたもキリストにその身をあずけて、
心安らかに、真の喜びを得て歩んでいきませんか?
2008年12月09日(火) 記事No.12
子どもクリスマス会
日時:12/14(日) 午後1:30〜
場所:東村山サンライズ・チャペル
教会地図
参加費:無料です!!
プログラム
・映画上映「ザ・プレゼント」
・ゲーム
・聖書のお話
・お菓子タイムなど
クリスマスの本当の意味を知って、
お子さんと一緒に心温まるクリスマスを
過ごしましょう!!
クリスマス特別礼拝
withチェロコンサート
日時:12/21(日) 午前10:30〜
場所:東村山サンライズ・チャペル
教会地図
参加費:無料ですが、席上にて自由献金があります
チェリストの高原さんをお招きして、美しいチェロの調べの中
クリスマス賛美を聴き、一緒に歌いましょう。
高原亮司さんのプロフィール
上海音楽院卒業。東京芸術大学大学院修士課程修了。
現在、東京交響楽団フォアシュピラー。国立中国音楽院客員教授。
どちらも、どなたでも自由にご参加できます。
お時間ある方は是非おいで下さい。心よりお待ちしています!
日時:12/14(日) 午後1:30〜
場所:東村山サンライズ・チャペル
教会地図参加費:無料です!!
プログラム
・映画上映「ザ・プレゼント」
・ゲーム
・聖書のお話
・お菓子タイムなど
クリスマスの本当の意味を知って、
お子さんと一緒に心温まるクリスマスを
過ごしましょう!!
クリスマス特別礼拝
withチェロコンサート
日時:12/21(日) 午前10:30〜
場所:東村山サンライズ・チャペル
教会地図参加費:無料ですが、席上にて自由献金があります
チェリストの高原さんをお招きして、美しいチェロの調べの中
クリスマス賛美を聴き、一緒に歌いましょう。
高原亮司さんのプロフィール
上海音楽院卒業。東京芸術大学大学院修士課程修了。
現在、東京交響楽団フォアシュピラー。国立中国音楽院客員教授。
どちらも、どなたでも自由にご参加できます。
お時間ある方は是非おいで下さい。心よりお待ちしています!
2008年11月10日(月) 記事No.11
昨日は洗礼式が行われました。
3名の方が洗礼を受けました。
洗礼は、キリストを信じた人が
その信仰を公に告白するものです。
私たちの信仰は目に見えませんので、
教会において洗礼を受け、皆がその証人となります。
それは結婚に例えるならば、結婚式のようなものです。
口約束だけで、夫婦だと思っていても、
周りの人にはよくわかりません。
やはり公の場で正式に誓約をなし
式を挙げることによって、誰の目に見ても
二人は夫婦となったのだということが
明らかにされます。
また、洗礼は、古い自分が一度キリストと共に死んで
新しくキリストと共によみがえった者であることを
覚える式でもあります。
イエス様はご自分がまず模範を示し、洗礼を受けられました。
そして、洗礼を授けるように弟子たちに命じ、
2000年もの間世界中でこれが守られてきたのです。
私たちの教会でもこの式が大きな喜びのうちに
持たれました。
「あなたがたに言いますが、それと同じように、
ひとりの罪人が悔い改めるなら、
神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」
(ルカ15:10)
3名の方が洗礼を受けました。
洗礼は、キリストを信じた人が
その信仰を公に告白するものです。
私たちの信仰は目に見えませんので、
教会において洗礼を受け、皆がその証人となります。
それは結婚に例えるならば、結婚式のようなものです。
口約束だけで、夫婦だと思っていても、
周りの人にはよくわかりません。
やはり公の場で正式に誓約をなし
式を挙げることによって、誰の目に見ても
二人は夫婦となったのだということが
明らかにされます。
また、洗礼は、古い自分が一度キリストと共に死んで
新しくキリストと共によみがえった者であることを
覚える式でもあります。
イエス様はご自分がまず模範を示し、洗礼を受けられました。
そして、洗礼を授けるように弟子たちに命じ、
2000年もの間世界中でこれが守られてきたのです。
私たちの教会でもこの式が大きな喜びのうちに
持たれました。
「あなたがたに言いますが、それと同じように、
ひとりの罪人が悔い改めるなら、
神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」
(ルカ15:10)
2008年06月08日(日) 記事No.10
私たちの教会で、毎月第二火曜日に持たれているのが、
「子育てクラス」
子育てって、その子の生涯を左右する大事な責任。
それだけに悩みも多く、ストレスもある。
しかも、多くの場合、ご主人が仕事が忙しくて、
じっくりと子育てに参加できない。
それどころか、奥さんがその日のニュースをゆっくりと話せる
時間的余裕もなかったりします。
そして、問題は、何を指針にして、何に信頼して子育てをしたらいいのか・・・
頭を抱えますね。
特に、昨今は情報がありすぎて、何が正しいのか、親もわからない。
そんな現実があります。
そんなとき、私たちをお造りになり、正義と愛のお方である
神様のことば、聖書を
土台にした子育ては、本当に意義深いものです。
育児とは、「育自」と書くなんて、よく言われますし、
教育も、「共育」と書いたりするなんて
そんなのを聞いたことがある方もいらっしゃると思います。
子どもを育てながら、実は自分自身育っていく。
また、一緒に育っていく必要があるということを
私たちは大事にしています。
そして、お互いを決して責めないで、一緒にその悩みを考えたり、
自分だけがそうなんじゃないんだと、
知って安心しあえるような子育てクラスを目指しています。
みんな、優しい仲間たちという感じでやっていますので、
もし興味ある方があればいつでもご参加下さいね!!
「子育てクラス」
子育てって、その子の生涯を左右する大事な責任。
それだけに悩みも多く、ストレスもある。
しかも、多くの場合、ご主人が仕事が忙しくて、
じっくりと子育てに参加できない。
それどころか、奥さんがその日のニュースをゆっくりと話せる
時間的余裕もなかったりします。
そして、問題は、何を指針にして、何に信頼して子育てをしたらいいのか・・・
頭を抱えますね。
特に、昨今は情報がありすぎて、何が正しいのか、親もわからない。
そんな現実があります。
そんなとき、私たちをお造りになり、正義と愛のお方である
神様のことば、聖書を
土台にした子育ては、本当に意義深いものです。
育児とは、「育自」と書くなんて、よく言われますし、
教育も、「共育」と書いたりするなんて
そんなのを聞いたことがある方もいらっしゃると思います。
子どもを育てながら、実は自分自身育っていく。
また、一緒に育っていく必要があるということを
私たちは大事にしています。
そして、お互いを決して責めないで、一緒にその悩みを考えたり、
自分だけがそうなんじゃないんだと、
知って安心しあえるような子育てクラスを目指しています。
みんな、優しい仲間たちという感じでやっていますので、
もし興味ある方があればいつでもご参加下さいね!!
2008年04月22日(火) 記事No.9
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
キリスト教には興味があるけど、教会ってなんだか敷居が高くて行き辛い・・・
そんな思いを抱いている方は結構多いのではないでしょうか?
そういう方のために、キリスト教会ってどんなところなのか
少しずつ お伝えできたらと思います。
1. 教会は誰が行くところなのか?
聖書には、医者を必要とするのは、健康な人ではなく、病人であるとあります。
キリストは、正しい人を招きに来たのではなく、
罪びとを招きに来たのだと言われました。
よく、自分のように汚れた人間は、教会に行ってはいけないのでは?
と考える方がいますが、むしろ逆なのだということです。
自分の罪深さ、自分のふがいなさに気づかされた人こそ、
教会に来られるべきだと思います。
そしてもちろん、自分が罪深いなどと思わなくても教会に行って良いのです。
聖書をちょっと勉強してみたいという思いでもいいですし、
なんだか、寂しいから・・・という思いでもいいですし、
最初は単なる暇つぶしでもいいのではないでしょうか?
他にも、賛美歌を聴くとほっとするからという理由で来始める方もいます。
教会はどなたでも集うことができる場所ですので、
まずは足を運んでみましょう!
まったく初めてでも、暖かく迎えてくれるはずです。
キリスト教には興味があるけど、教会ってなんだか敷居が高くて行き辛い・・・
そんな思いを抱いている方は結構多いのではないでしょうか?
そういう方のために、キリスト教会ってどんなところなのか
少しずつ お伝えできたらと思います。
1. 教会は誰が行くところなのか?
聖書には、医者を必要とするのは、健康な人ではなく、病人であるとあります。
キリストは、正しい人を招きに来たのではなく、
罪びとを招きに来たのだと言われました。
よく、自分のように汚れた人間は、教会に行ってはいけないのでは?
と考える方がいますが、むしろ逆なのだということです。
自分の罪深さ、自分のふがいなさに気づかされた人こそ、
教会に来られるべきだと思います。
そしてもちろん、自分が罪深いなどと思わなくても教会に行って良いのです。
聖書をちょっと勉強してみたいという思いでもいいですし、
なんだか、寂しいから・・・という思いでもいいですし、
最初は単なる暇つぶしでもいいのではないでしょうか?
他にも、賛美歌を聴くとほっとするからという理由で来始める方もいます。
教会はどなたでも集うことができる場所ですので、
まずは足を運んでみましょう!
まったく初めてでも、暖かく迎えてくれるはずです。






