2008年06月08日(日) 記事No.10
  私たちの教会で、毎月第二火曜日に持たれているのが、

 「子育てクラス」

  子育てって、その子の生涯を左右する大事な責任。

  それだけに悩みも多く、ストレスもある

  しかも、多くの場合、ご主人が仕事が忙しくて、

  じっくりと子育てに参加できない。

  それどころか、奥さんがその日のニュースをゆっくりと話せる

  時間的余裕もなかったりします。

  そして、問題は、何を指針にして、何に信頼して子育てをしたらいいのか・・・

  頭を抱えますね。

  特に、昨今は情報がありすぎて、何が正しいのか、親もわからない。

  そんな現実があります。

  そんなとき、私たちをお造りになり、正義と愛のお方である

  神様のことば、聖書

  土台にした子育ては、本当に意義深いものです。

  
  育児とは、「育自」と書くなんて、よく言われますし、

  教育も、「共育」と書いたりするなんて

  そんなのを聞いたことがある方もいらっしゃると思います。

  子どもを育てながら、実は自分自身育っていく。

  また、一緒に育っていく必要があるということを

  私たちは大事にしています。

  そして、お互いを決して責めないで、一緒にその悩みを考えたり、

  自分だけがそうなんじゃないんだと、

  知って安心しあえるような子育てクラスを目指しています。

  みんな、優しい仲間たちという感じでやっていますので、

  もし興味ある方があればいつでもご参加下さいね!!




 



 

  
子育て |  トラックバック(0) |  コメント(0) |  記事を編集 | 

2008年04月22日(火) 記事No.9
 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)

 
  キリスト教には興味があるけど、教会ってなんだか敷居が高くて行き辛い・・・

  そんな思いを抱いている方は結構多いのではないでしょうか?

  そういう方のために、キリスト教会ってどんなところなのか

  少しずつ お伝えできたらと思います。


  1. 教会は誰が行くところなのか?

   聖書には、医者を必要とするのは、健康な人ではなく、病人であるとあります。
   キリストは、正しい人を招きに来たのではなく、
   罪びとを招きに来たのだと言われました。

   よく、自分のように汚れた人間は、教会に行ってはいけないのでは?
   と考える方がいますが、むしろ逆なのだということです。
   自分の罪深さ、自分のふがいなさに気づかされた人こそ、
   教会に来られるべきだと思います。

   そしてもちろん、自分が罪深いなどと思わなくても教会に行って良いのです。
   聖書をちょっと勉強してみたいという思いでもいいですし、
   なんだか、寂しいから・・・という思いでもいいですし、
   最初は単なる暇つぶしでもいいのではないでしょうか?
   他にも、賛美歌を聴くとほっとするからという理由で来始める方もいます。
  
   教会はどなたでも集うことができる場所ですので、
   まずは足を運んでみましょう!
   まったく初めてでも、暖かく迎えてくれるはずです。





 
キリスト教会って? |  トラックバック(0) |  コメント(0) |  記事を編集 | 

2007年10月09日(火) 記事No.8

 一昨日、我が家に第四子が誕生した。
 
 子が生まれることは、いつも思うが神様からのプレゼント。神様の奇跡。そう思う。母親の胎内にいるときは、私たちと同様の呼吸をしない。羊水の中にずっといるわけだから、不思議だ。

 冗談のようなほんとの話だが、妻の父が、赤ちゃんはお腹の中にいるときは、えら呼吸をしているんだ!と言ったのを思い出して、思わず笑ってしまう。でも、確かに不思議なことなのだ。水の中にいながら酸素が供給されている。

 先日、JOINという音楽ゲストを礼拝にお招きした。夫婦で活動されているのだが、ご主人が子どもが生まれたときのことを歌にして、紹介してくれたのだ。それは、「へその緒」をテーマにした歌(笑)

 へその緒は、実際はかなり太く丈夫だ。母親と子を結ぶ大事な管だからだ。はさみで切るにも、簡単に切れるものでもないと言う。そのご主人はおっしゃった。「へその緒」が切れたこれからは、僕自身が管となって、神様のことばをこの子に伝えていきたいと。神様と子をつなぐ、へその緒のような存在に自分がなる必要があると話してくれた。

 私は非常に共感を覚えた。我が家では4人目だが、この子達に私はいのちことば、生きる道そのものである神のことばを伝える責任がある。ただ覚えさせるのではなく、この子たちの心にしっかりと根ざして、どんな困難な中でも、ぶれることなくそのいのちの道に立ち続けて欲しい。

 そのためには、自分自身がまず、通り良き管にならなければ・・・。

 そんなことを思いながら、妻と新生児ののいる病院に通う日々を送ってるいる。

 

 
子育て |  トラックバック(0) |  コメント(0) |  記事を編集 | 

2007年10月05日(金) 記事No.7
キリスト教入門(聖書)の第六回目。

 6. 聖書のテーマ(人を救いに導く聖書)

 聖書は分厚い! 本嫌いの人ならば、見ただけで嫌気がするかも知れない。だが、その分厚い書物は一体何を伝えているのか聞かれるならば、意外にすっきりと答えることができる。それは、「神の愛」である。神の愛がこの聖書全体に貫かれているテーマであって、神の愛が分かったならば、聖書をある程度理解したと言って良いのではないだろうか。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)

 だが、「神の愛」と言っても、漠然としていると感じるかも知れない。愛にも色々あるからだ。ならば、聖書における神の愛とは何か?それは、愛する友のために命を捨てるという愛であり、愛する者のために自分の大切な息子を犠牲にする愛である。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子(キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)

人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。(ヨハネ15:13)


 神は私たち人間をお造りになった。人間は神の愛をいつでも体験し、愛の中に生きられる存在だった。だが、人は罪を犯し、神に背をむけ、神を神としてあがめずに歩むようになった。この罪は私たちと神様との間を引き裂いた。隔ての壁である。この罪を持つ罪人ゆえに、神の愛を感じられないのだ。そして、この罪の結果は永遠の苦しみである「滅び」である。神様は私たち人間を罪から救うために、御子イエスを下さった。罪人の私たちには、自分の力で罪の問題を解決することができない。全く罪のないきよい神の御子キリストのみが、私たちに代わって罪の罰を受けることができた。

 神は私たち人間の身代わりに、キリストにおいて私たちの罪を罰して下さったのだ。ゆえに、それを信じて受け取る者は、罪の赦しを受け取り、神との関係を回復することができる。永遠のいのちというのは、単にいつまでも死なないということではない。神と共に歩む幸いないのちの祝福である。この地上において、神様の愛と恵みを体験し、味わっていき、希望と平安に満たされ続けるいのちなのだ。それはキリストを信じた時からはじまり、終わりはない!

 聖書の中心テーマは規則を守ることではない。きよく正しい生活をしましょうということでもない。神のさばきでもない。あくまでも「神の愛」なのだ。あなたのために、いのちを棄てて下さるほどの愛なのだ。あなたは神に愛されるために、今、ここに存在している。ぜひ、この事を知って欲しい。


◆よろしければ、下記のランキングボタンをクリックして下さい。
これをクリックされる方が多いほど、ランキングで上位に表示され、より多くの方に見ていただくことができるようになります^^
banner2.gif

キリスト教入門(聖書) |  トラックバック(0) |  コメント(0) |  記事を編集 | 

2007年10月05日(金) 記事No.6
キリスト教入門シリーズ、「聖書」の第五回目。

 5. あらゆる分野に影響を与えている聖書

 聖書ほど影響力のある書はない。影響力があるからこそ、多くの迫害や反対者がいたのだ。たいした影響力もないのならば、誰も関心すら抱かない。放っておけば良いのだ。

 だが、聖書は世界中、至るところに影響を及ぼしている。すぐに思いつくのは、文化や芸術の分野だ。かの有名なシェークスピアは、聖書から得た多くの知恵をその文学に生かしている。ドストエフスキーは、聖書と出会って後、著名な作品を多く残した。日本でも太宰治は、聖書を読みふけり、名作を多く残した。私が好きな三浦綾子さんもまた、優れた文学者である。アウグスティヌス、ダンテ、パスカルなども聖書から影響を受けた著名作家である。音楽の分野でも、バッハ、ヘンデル、モーツァルト、ベートーベンなどは、聖書の影響を強く受け、神を賛美する名曲をいくつも作曲した。これらクラシックに始まり、現代でもゴスペルや賛美歌は、世界中で愛される歌の一つではないだろうか。日本でさえ、アメージンググレイスやオリンピックなどの表彰式で流れる賛美歌、きよしこの夜など、なじみのある音楽がいくつもある。西洋の絵画や彫刻などの多くは、聖書をモチーフにしているし、建築については教会建築は世界中で芸術的遺産の一つとされている。

 印刷技術の発達は、まさに聖書を世界に広めるためという動機が中心であった。グーテンベルグの印刷機が発明されて、最初に印刷されたのは聖書であった。また、多くの法律の原点は、聖書であるとも言える。英米法は聖書を土台にしている。ということは、英米法が根底にある日本国憲法も、その恩恵をいくらかは受けているのだ。

 助け合いの精神で始まった生活共同組合(生協)にも、聖書は関わっている。イギリスでスタートした生協だが、このスタート時のメンバーには幾人ものクリスチャンが参与していた。「日本の生協の父」と呼ばれる賀川豊彦もクリスチャンであった。男女平等の思想、人権の思想、平和の思想なども、聖書の影響力が強くあると言われる。ヘレン・ケラーやマザー・テレサ、ジョージ・ミュラーなどに代表されるように、社会的弱者への福祉的働きも聖書の愛が土台である。

 何よりも人をまったく生まれ変わらせることができるのが、聖書の最大の影響力と言える。ロビンソン・クルーソーのモデルとなった人は、聖書によって全く別人のように変えられた人だ。荒くれ水夫だった彼は、水夫仲間に無人島に置き去りにされたのだ。それほど、手のつけられない人物だった。彼は無人島で自分の荷物の中にまぎれていた聖書を手にした。他にやることのない無人島で、彼は聖書をむさぼるように読んでいたのだ。迎えが来た時には、彼は非常に穏やかな人となっていたと言う。ヤクザの抗争を描いた映画、「仁義無き戦い」のモデルとなったヤクザさんも、聖書に出会い、自分の罪を悔い改めて、全く別人のように穏やかな人になっている。

 世界人口のおよそ半分が、旧約か新約か、少なくともそのどちらかを神からのことばと信じているという現実もある。聖書はどうしてこれほどまでに、力を持つのだろうか。この聖書がただのおとぎ話なら、こんな事になるはずがない。単なる歴史書なら、一部の学者や歴史好きの人の間だけで終わるだろう。これほどの影響を持つのは、聖書が神のことばである、私たちを生まれ変わらせる人生の書であるからに他ならないと私は思う。
キリスト教入門(聖書) |  トラックバック(1) |  コメント(0) |  記事を編集 |