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2013年04月26日(金) 記事No.39
神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」 (創世記2:18)

より若い頃、他の人の手を借りることがなかなかできませんでした。他の人の手をわずらわせるのが申し訳ないという思い。あるいは、手を借りることは自分で頑張ることを「あきらめること」だと思っていたのでしょうか。自分がいっぱいいっぱいになるほど頑張っていました。確かに自分で頑張ることをせず、最初から「人任せ」では良くないのでしょう。しかしながら、人はそもそも助け合い、協力して何かをする存在として創造されたということを忘れてはいけません。人は「共に歩む」ことで初めて、その輝きを増しより豊かな働きをすることができます。また、成長とは誰かと共に歩む中にあって与えられるものなのではないでしょうか。サッカーの本田圭佑選手について、NHKのプロフェッショナルという番組でやっていました。自分が点を取ることばかり考えていた時、仲間から信頼されずパスがまわって来なかった。チームも結果を残せない日々が続いた。しかし、他の人を生かすプレイをするようになった時、自分にもパスがまわり、チームが変わってきました。一人で歩んでいては気づかない事も、他の人と共に歩むことで気づかされ養われていきます。私も色々な人が神様の働きにもっと生かされ、用いられたらと心から願うようになりました。あの人がこの働きに一緒にいてくれたらいいのに!あの人ならここで賜物を発揮できるのに! そう思えるようになったのは、自分の能力の無さを嘆くことから解放されたからかも知れません。自分にないものは、他の人にいっぱい補ってもらえばいい。そしてその交わりの楽しさは、神様からの恵み以外のなにものでもないのです。詩篇133:1「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、 なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」

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2013年04月23日(火) 記事No.38
だから、 あすのための心配は無用です。 あすのことはあすが心配します。 労苦はその日その日に、 十分あります。(マタイ6章34節)

「不眠恐怖症」という症状があると聞きました。不眠症ではないかと心配して神経内科などを訪れる人の多くが、実は不眠症ではなく、不眠症なのではないか?不眠症になっちゃうのではないか?と過剰に心配してかえって眠れなくなっている人だと言われます。また、心配のほとんどは不要な心配であるとも言います。そしてもったいないことに、未来の心配をしすぎあるあまり、今なすべき大事なことに心を注ぐことができず、今目の前にいる愛すべき人を愛せなくなってしまう私たちです。神様は人間が誰もがそのような存在であることを知っておられます。だから、このように語りかけて下さるのです。そのような時は、空の鳥を見なさいとおっしゃいます(26節)。野の花を見なさいとおっしゃいます(30節)。それらは私たち人間よりずっと小さな存在なのに、何も心配せずに今日を生かされているのです。それらは神様によってきちんと養われ、綺麗に着飾っていただき、何も気負うことなくそこに生かされ輝いているのです。私たちもどうなるかわからない先のことを心配することに力を注がず、今日生かされていることに感謝し、目の前にある大事な事に向き合う力を与えていただきましょう。
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2013年03月09日(土) 記事No.36
「もし、その人の主へのささげ物が、鳥の全焼のいけにえであるなら・・・」(レビ1:14)

 神様の優しいご配慮に私たちはどれだけ気づいているでしょうか。本当に気遣いのできる人は、相手に気づかれないようにさりげなくケアしているとも言われます。ですから神様の気遣いのうち、私たちが理解しているのはごくわずかな部分であろうと思うのです。レビ記は難解で、あまり好まれない書のひとつです。しかし、レビ記の中にも主の愛のご配慮があふれています。それを発見していく作業は、本当に楽しくワクワクします。1章から2章にかけて、ささげ物についての教えがあります。ただの規則と思うのか、神様の配慮と理解するのかで意味が大きく変わってくるでしょう。ここでは、ささげ物の種類が、雄牛、子羊、雄やぎ、山鳩、家鳩、穀物と順に語られています。実は牛が最も高価で、貧しい人には牛をささげることはできませんでした。そこで、牛が無理なら羊、やぎ、それも難しいならば、山鳩、家鳩、それさえも厳しい家庭は「小麦粉」をささげるというように神様は細かく教えておられます。イエス様が生まれて、ヨセフとマリヤが鳩を宮にささげていることから、彼らの家庭が貧しい境遇であったことがわかります。神様は、無理なことをしろと言われません。それぞれが与えられている物に応じて、喜んでささげればいいのです。強い人にも、弱い人にも神様がご配慮され、どれが優れているとか劣っているとも言わずに受け入れて下さいます。そこに優しさを感じます。月300円のお小遣いをもらう子どもがささげた30円の献金。それはは神様の目にどのように映っているのでしょうか?大きい者も、小さい者も、強い者も、弱い者も、自分が持てる中から喜んで主にささげた時、豊かな実りを大いに期待することができるのです。
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2013年02月06日(水) 記事No.35
携帯からもPCからも利用できる交流サービスのフェイスブックはとても便利な反面、人を疲れさせてしまう一面も持っているようです。米国でフェイスブックの利用調査が行われたとの記事を読みました。それによると、利用者の6割が利用を数週間以上休んだことがあるとのこと。長期に休んでいる人の理由の多くは疲れを覚えてのようです。便利に手軽に交流でき、人はそれで元気に楽しめるはずです。しかし現実は必ずしもそうではないことがわかります。私も最近はインターネット電話での会議が増えています。長距離の移動をして集まる必要がない分、費用も時間も負担が軽減されるはずです。ところが、手軽さのゆえに、時間も無駄に長引き、会議の頻度も上がりました。しかも、顔と顔とを合わせての会議と違って見えないゆえの誤解も生まれやすくストレスが生じます。実は私たちは便利に手軽に交流しようとするゆえに、かえって「ゆとり」や「生身の交流の恵み」を失い、かえって目に見えない疲労を蓄積しているのかも知れません。しかし人間はやはり、顔と顔とを合わせて付き合い、共に「そこにいる」ことの中で愛を確かめ合い、励ましを受けるのではないでしょうか。

「ある人々のように、一緒に集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」(ヘブ10:25)

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2013年01月15日(火) 記事No.34
「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。」(ヘブル人への手紙1:1-2)

 イエス・キリストがこの世界に来られるよりずっと前の時代(旧約聖書の時代)。神様はたくさんの預言者たちに言葉を授け、また夢や幻などを通して人間に語っておられました。しかし、神の御子であるイエス様がこの地に来られた時には、キリストの言葉やわざを通して神は人に語りました(新約聖書の時代)。旧約時代は多くの人によって、様々な方法で語られる必要があったことが、すべてキリストに集約されました。キリストを見れば神の語られてきた事のすべてがわかる。まさに、神のお姿そのものであるキリストが私たち人間のもとに来られたことは驚くべき恵みです。人の姿であるからこそ、私たちの模範になります。人の姿だからこそ私たちと同じ制約、痛み、弱さを身にまとっていることになります。そのキリストの生き様そのものが私たちへの神様からのメッセージなのです。なんとわかりやすく、なんと温かい命の通ったメッセージでしょうか。神である方が人となって、その愛のメッセージを生き様全体で語っておられる。この方を見続けることこそ、神の愛を知ることなのです。どうかあなたも、神のメッセージの目に見える現われであるイエス様を通して、しっかりと愛のメッセージを受け取って下さい。
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