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  • 2007年10月 の記事一覧

2007年10月09日(火) 記事No.8

 一昨日、我が家に第四子が誕生した。
 
 子が生まれることは、いつも思うが神様からのプレゼント。神様の奇跡。そう思う。母親の胎内にいるときは、私たちと同様の呼吸をしない。羊水の中にずっといるわけだから、不思議だ。

 冗談のようなほんとの話だが、妻の父が、赤ちゃんはお腹の中にいるときは、えら呼吸をしているんだ!と言ったのを思い出して、思わず笑ってしまう。でも、確かに不思議なことなのだ。水の中にいながら酸素が供給されている。

 先日、JOINという音楽ゲストを礼拝にお招きした。夫婦で活動されているのだが、ご主人が子どもが生まれたときのことを歌にして、紹介してくれたのだ。それは、「へその緒」をテーマにした歌(笑)

 へその緒は、実際はかなり太く丈夫だ。母親と子を結ぶ大事な管だからだ。はさみで切るにも、簡単に切れるものでもないと言う。そのご主人はおっしゃった。「へその緒」が切れたこれからは、僕自身が管となって、神様のことばをこの子に伝えていきたいと。神様と子をつなぐ、へその緒のような存在に自分がなる必要があると話してくれた。

 私は非常に共感を覚えた。我が家では4人目だが、この子達に私はいのちことば、生きる道そのものである神のことばを伝える責任がある。ただ覚えさせるのではなく、この子たちの心にしっかりと根ざして、どんな困難な中でも、ぶれることなくそのいのちの道に立ち続けて欲しい。

 そのためには、自分自身がまず、通り良き管にならなければ・・・。

 そんなことを思いながら、妻と新生児ののいる病院に通う日々を送ってるいる。

 

 
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2007年10月05日(金) 記事No.7
キリスト教入門(聖書)の第六回目。

 6. 聖書のテーマ(人を救いに導く聖書)

 聖書は分厚い! 本嫌いの人ならば、見ただけで嫌気がするかも知れない。だが、その分厚い書物は一体何を伝えているのか聞かれるならば、意外にすっきりと答えることができる。それは、「神の愛」である。神の愛がこの聖書全体に貫かれているテーマであって、神の愛が分かったならば、聖書をある程度理解したと言って良いのではないだろうか。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)

 だが、「神の愛」と言っても、漠然としていると感じるかも知れない。愛にも色々あるからだ。ならば、聖書における神の愛とは何か?それは、愛する友のために命を捨てるという愛であり、愛する者のために自分の大切な息子を犠牲にする愛である。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子(キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)

人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。(ヨハネ15:13)


 神は私たち人間をお造りになった。人間は神の愛をいつでも体験し、愛の中に生きられる存在だった。だが、人は罪を犯し、神に背をむけ、神を神としてあがめずに歩むようになった。この罪は私たちと神様との間を引き裂いた。隔ての壁である。この罪を持つ罪人ゆえに、神の愛を感じられないのだ。そして、この罪の結果は永遠の苦しみである「滅び」である。神様は私たち人間を罪から救うために、御子イエスを下さった。罪人の私たちには、自分の力で罪の問題を解決することができない。全く罪のないきよい神の御子キリストのみが、私たちに代わって罪の罰を受けることができた。

 神は私たち人間の身代わりに、キリストにおいて私たちの罪を罰して下さったのだ。ゆえに、それを信じて受け取る者は、罪の赦しを受け取り、神との関係を回復することができる。永遠のいのちというのは、単にいつまでも死なないということではない。神と共に歩む幸いないのちの祝福である。この地上において、神様の愛と恵みを体験し、味わっていき、希望と平安に満たされ続けるいのちなのだ。それはキリストを信じた時からはじまり、終わりはない!

 聖書の中心テーマは規則を守ることではない。きよく正しい生活をしましょうということでもない。神のさばきでもない。あくまでも「神の愛」なのだ。あなたのために、いのちを棄てて下さるほどの愛なのだ。あなたは神に愛されるために、今、ここに存在している。ぜひ、この事を知って欲しい。


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2007年10月05日(金) 記事No.6
キリスト教入門シリーズ、「聖書」の第五回目。

 5. あらゆる分野に影響を与えている聖書

 聖書ほど影響力のある書はない。影響力があるからこそ、多くの迫害や反対者がいたのだ。たいした影響力もないのならば、誰も関心すら抱かない。放っておけば良いのだ。

 だが、聖書は世界中、至るところに影響を及ぼしている。すぐに思いつくのは、文化や芸術の分野だ。かの有名なシェークスピアは、聖書から得た多くの知恵をその文学に生かしている。ドストエフスキーは、聖書と出会って後、著名な作品を多く残した。日本でも太宰治は、聖書を読みふけり、名作を多く残した。私が好きな三浦綾子さんもまた、優れた文学者である。アウグスティヌス、ダンテ、パスカルなども聖書から影響を受けた著名作家である。音楽の分野でも、バッハ、ヘンデル、モーツァルト、ベートーベンなどは、聖書の影響を強く受け、神を賛美する名曲をいくつも作曲した。これらクラシックに始まり、現代でもゴスペルや賛美歌は、世界中で愛される歌の一つではないだろうか。日本でさえ、アメージンググレイスやオリンピックなどの表彰式で流れる賛美歌、きよしこの夜など、なじみのある音楽がいくつもある。西洋の絵画や彫刻などの多くは、聖書をモチーフにしているし、建築については教会建築は世界中で芸術的遺産の一つとされている。

 印刷技術の発達は、まさに聖書を世界に広めるためという動機が中心であった。グーテンベルグの印刷機が発明されて、最初に印刷されたのは聖書であった。また、多くの法律の原点は、聖書であるとも言える。英米法は聖書を土台にしている。ということは、英米法が根底にある日本国憲法も、その恩恵をいくらかは受けているのだ。

 助け合いの精神で始まった生活共同組合(生協)にも、聖書は関わっている。イギリスでスタートした生協だが、このスタート時のメンバーには幾人ものクリスチャンが参与していた。「日本の生協の父」と呼ばれる賀川豊彦もクリスチャンであった。男女平等の思想、人権の思想、平和の思想なども、聖書の影響力が強くあると言われる。ヘレン・ケラーやマザー・テレサ、ジョージ・ミュラーなどに代表されるように、社会的弱者への福祉的働きも聖書の愛が土台である。

 何よりも人をまったく生まれ変わらせることができるのが、聖書の最大の影響力と言える。ロビンソン・クルーソーのモデルとなった人は、聖書によって全く別人のように変えられた人だ。荒くれ水夫だった彼は、水夫仲間に無人島に置き去りにされたのだ。それほど、手のつけられない人物だった。彼は無人島で自分の荷物の中にまぎれていた聖書を手にした。他にやることのない無人島で、彼は聖書をむさぼるように読んでいたのだ。迎えが来た時には、彼は非常に穏やかな人となっていたと言う。ヤクザの抗争を描いた映画、「仁義無き戦い」のモデルとなったヤクザさんも、聖書に出会い、自分の罪を悔い改めて、全く別人のように穏やかな人になっている。

 世界人口のおよそ半分が、旧約か新約か、少なくともそのどちらかを神からのことばと信じているという現実もある。聖書はどうしてこれほどまでに、力を持つのだろうか。この聖書がただのおとぎ話なら、こんな事になるはずがない。単なる歴史書なら、一部の学者や歴史好きの人の間だけで終わるだろう。これほどの影響を持つのは、聖書が神のことばである、私たちを生まれ変わらせる人生の書であるからに他ならないと私は思う。
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2007年10月05日(金) 記事No.5
キリスト教入門シリーズ、「聖書」の第四回目。

 4. 誰も滅ぼすことができなかった聖書

 聖書ほど激しい迫害を受けてきた書物はない。聖書は素晴らしい愛に満ちた書物であるが、一部の権力者たちにとっては、それは目の上のたんこぶでもあった。聖書は男女平等の思想や、人間を神としてあがめる行為を禁止している。自分を神のようにあがめて欲しいと望む支配者たちにとっては、邪魔な存在であったと言える。

 ナポレオンの言葉に、こういうものがある。「聖書は単なる書物ではない。それに反対するすべてのものを征服する力を持つ生物である。」

 有名な迫害と言えば、303年のローマ皇帝による迫害だ。時の皇帝ディオクレティアヌスは、聖書をこの世から抹殺すべく、当時の世界に存在する聖書をすべて焼き払うよう勅令を出した。聖書を持っている者も死刑とされたのだ。印刷技術が発明されていない当時。手書きの写本の数などたかが知れている。数年の後、ディオクレティアヌス帝はすべての聖書を滅ぼしたと確信し、「キリスト教は滅亡した」という記念碑を建てたと言う。しかし、聖書は生き残り、むしろどんどん増え広がっていったのである。

 無視論者ヴォルテールは、聖書を批判する本を何冊も書き、多くの人々に喜んで受け入れられた。彼は数百年後には聖書は忘れ去られると確信したが、晩年の言葉はこうだった。「わたしは一生涯をかけて何という馬鹿なことをしてしまったのだろうか。」 なんと、彼の死後25年たって、彼の家は聖書協会に買い取られ、そこで今日に至るまで聖書が印刷されている。

 ドイツのケラーという人物も、聖書は歴史的に信頼できるものではないと批判し、調べ始めた。ところが、調べれば調べるほど歴史と聖書の記述が恐ろしく一致していることを知り、「やっぱり聖書は正しかった(歴史としての聖書)」という本を著したことで知られる。

 聖書の中の「使徒の働き」には、クリスチャンに対する多くの迫害が記されている。だが、同時に、迫害が起こる中で、かえってキリスト教が広まって行った歴史的経緯が記されているのだ。

 聖書の中に、「神のことばは永遠に立つ」という言葉がある。この言葉は真実である。これから先の時代も、誰もこの聖書を滅ぼすことはできない。私はそう確信している。

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2007年10月05日(金) 記事No.4
前回のキリスト教入門では、聖書は40人もの著者によって記されていることを学んだ。しかし、聖書は「神のことば」と呼ばれる。人間の手によって書かれた書物が、なぜ、誤りなき神のことばと言えるのであろうか。

3. 神のことば・聖書

直接には人が書いたにも関わらず、聖書を「神のことば」だと言うのはなぜだろうか。

① 聖書自身が証言している。

「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」(Ⅱテモテ3:16)

「(聖書の)預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」(Ⅱペテロ1:21)

 これらの言葉によると、聖書は神の霊感(聖霊の働き)によって記されたということになる。神の霊感によって書かれたとは、神様の霊(聖霊と言う)が人に宿り、その人を神様の意志のままに導き、ご自分の意志を誤り無く記させたということだ。その際、何かにとりつかれて無意識のうちに書いたということでもなく、自分の意志に反して手が勝手に動いたということでもない。神様はその人の人格や、文体のくせなど、その個性をそのまま生かして、それでいてご自身の意志を誤り無く書かせたのである。

 直接書いているのが人間なのに、なぜ神様が著者であると言えるのかということについては、こう考えてはどうだろうか。「代筆」というものがある。実際の手紙でも、またメールでも、口頭で言った内容を他の人に書かせるという方法だ。私もときどき、妻に代筆を頼んだり、逆に妻から聞いた内容を代わりにメールで打ったりすることがある。その場合、実際に書いた人間と、その内容を話した人間とは別の人だが、その場合、内容を話した人の手紙として理解されるのではないだろうか。

 聖書には預言者という人がいる。「預言」は、「予言」とは違う。「予言」は、将来のことを予(あらかじ)め言うこと。だが、「預言」は将来のことについても、もちろん語るわけだが、基本的な意味は、神様から言葉を預(あず)かり、それをそのまま人に伝えることを指す。預言とはまさに、神から預かったことばを、人が代わりに語り、記すことである。そして、これらの預言が語られた通りに実現(成就)していることもまた、聖書が神のことばである根拠と言える。

② 外的な根拠

聖書の証言を裏付ける外的な証拠も多くある。ひとつには前回の1と2で学んだ内容である。圧倒的な数の人々に支持され、世界のベストセラーとなっている事実。1600年かけて、40人の人によって書かれているにも関わらず、矛盾がなく一貫性があるという事実。

さらに、これからも学んでいくが、世界への影響力や、迫害の中でも滅びなかった不滅性。あるいは歴史的、考古学的根拠などだ。

聖書は知れば知るほど、信頼性が高まる書である。信じられない人々のひとつの原因は、「知らない」ということではなかろうか。この入門コーナーが、少しでも聖書のことを知るのに役立つ場となることを願う。
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2007年10月05日(金) 記事No.3
聖書はいつ頃、どのくらいの期間かけて、そしてどのような人々によって書かれたのだろうか。

2. 奇跡の書・聖書

① 1600年聖書のはじめの書物、創世記が書かれたのが紀元前1500年ごろと言われる。そして、聖書の中で最も後の時代に書かれたとされるのが、新約聖書の黙示録。この黙示録は紀元90年ごろと言われるので、創世記から黙示録まで完成するのに、約1600年間ぐらいかかっていることになる。1600年もかけて作られた書物は、他にあるだろうか?

② 40人 1600年間かかったということは、当然1人の人間の手でできることではない。途中、空白の数百年があるにしても、複数人の手による必要がある。実際のところ、聖書は40人ほどの人々によって記されている。

 聖書が奇跡の書とも呼ばれる理由は幾つもあるが、そのひとつは、ここにある。1600年という非常に長い期間をかけて記されていながら、しかも40人の人の手による作でありながら、はじめから終わりまで一貫性があり、矛盾がないのだ。それどころか、はるか昔の旧約時代の預言が、新約時代においてその通りに実現している事実を知るとき、鳥肌が立ってくる。

 また、この40人の人々は、どのような人々か?彼らは、時代も住んでいた地域もバラバラの40人である。その彼らが連絡を取り合うこともなく、それぞれに記していながら、矛盾無く、一貫したテーマが貫かれていることは、神の御手がそこにある証拠だ。

しかも、彼らは身分や立場がまったくちがう人々だ。聖書を著した人物は、王様もいれば、大臣もいるし、学者もいる。宮廷に務めていた人物や医者もいるし、税金取りや漁師までいる。王様から無学な平民まで。普通、王様と一緒に肩を並べて、漁師が同じ書物を記すなどということは考えられないことだ。だが、聖書はそれが現に起こっており、しかも内容において調和しているのだ。これこそは、聖書が神の「霊感」によって記されたことの、ひとつの証拠である。神の霊感については、また別の機会に紹介したい。

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2007年10月05日(金) 記事No.2
キリスト教入門のコーナーです。

まずは、世界のベストセラー、神のことばである「聖書」についてご一緒に学びたいと思います。興味のある方は、読んでみて下さい。

1. ベストセラーである聖書

聖書は世界で最も多く売られている

世界で見ると、分冊を含めて年間5億冊以上出版されていると言われます。仏教や神道の国、あるいは無宗教の国と言われる日本でさえ、年間300万冊以上出版されている。かつて、朝日新聞の文化欄で、隠れたベストセラーとして紹介されたこともある。

また、ある資料によると、世界人口のおよそ半分が、少なくとも旧約聖書は神のことばだと理解しているといると言う(ユダヤ教徒など)。

それから、聖書は、

世界で最も多くの言語に翻訳されている

とも言われる。(http://www.wycliffejapan.org/)の資料によれば、2212言語に翻訳されているそうだ。これは、私たちがすぐに口にできるような国の言葉を数えていけば、どれほどすごいことかわかる。皆さんは、日本語、英語、ドイツ語、フランス語、韓国語・・・と数えていき、100以上の外国語を言うことができるだろうか。やってみると結構大変だ。聖書を命がけで、すべての国民の言語に・・・というプロジェクトがなされ続けてきたということ自体、聖書の価値を物語っている。

「世界のことば♪~マクドナルド♪」(古い!)という宣伝文句があったが、まさに聖書こそ、世界のことばではないかと思う。

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2007年10月05日(金) 記事No.1
以前のブログから新しいブログに移し、再スタートする予定でしたが、新しいブログの使い勝手がイマイチで、また放置してしまいました。

でも、やはりまた復活させたいと思い、
より使い勝手の良さそうな違うブログで再開することになりました。

このブログをなんとか少しでも多くの方に見ていただきたいと思います。

このブログを通して、聖書が語る愛と希望を少しでも多くの方に知っていただけたらと願います。



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