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  • 2012年07月 の記事一覧

2012年07月31日(火) 記事No.18
出エジプト記11:10 「モーセとアロンは、パロの前でこれらの不思議をみな行った。しかし主はパロ(ファラオ)の心をかたくなにされ、パロ(ファラオ)はイスラエル人を自分の国から出て行かせなかった。」

モーセとアロンを通して、神様は9つの大きな災害をエジプト王に見せしめました。しかしながらなお、彼は抵抗し、心をかたくなに(強く、強情に)し、イスラエル人を解放しませんでした。とはいえ、決して神様が無理やりに彼の心を固くしたということではないのです。神様は彼の心が固くなることをご存知の上で、9つの災いをなさり、彼の心がかたくなになったということです。神様の大いなるみわざを見れば見るほど、エジプトの王パロは、それに反発していったのです。

人は意固地になってしまうことがあります。年齢と共に心が固くなり、他の人の意見や忠告を素直に聞くことが難しくなります。なぜ人は心を固くしていくのでしょうか? 

それは、柔らかい心でいるととても傷つきやすいからです。

思うようにいかない現実、冷たい態度や言葉にグサりと刺されるのが怖いのです。

自分の未熟さや弱さを認める事になるようで怖いのです。

けれども、その結果何が起こるのでしょうか。固い壁を作っている心は、人の愛をも退けます。そして、神様の愛と真実とにも目をそらすようになります。「どうせ何も変わらない」と言い聞かせ、期待して裏切られることから身を守ろうとし、結果、神様のあふれるばかりの祝福を受けられずにいるのです。

人が幸せになっていくために必要な心は「柔らかい心」です。神様はキリストを通して、柔らかい心を私たちのうちに与えようとなさいました。キリストご自身が、どれほど傷つきやすい柔らかい心を持っておられたことでしょうか。病人や罪人、乞食、子どもたちがあんなにもイエス様の周りには集まって来ました。それは固い強い心ではなく、柔らかい優しい心を持っておられたからです。

「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える」(エゼキエル書36:26)

神様はあなたに、固い心ではなく、柔らかい心で生きて欲しいと願っておられます。
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2012年07月27日(金) 記事No.17
詩篇103:5「あなたの一生を良いもので満たされる。」
人間の愛は、どんなに純粋に愛そうとしても、そこに混合物があるものです。
人から良く思われたい。自分も愛されたい。自分が満足したい。などの思いが混じります。
愛の人と言われるマザー・テレサでさえ、その心の中には多くの闇があったことを告白しています。

けれども、神様の愛は純度100%です。
神様はひたすらに人間の幸いを願っておられるのです。
あなたの一生を良いもので満たされようとしています。

私たちはこの事を信じて受け止めたいのです。

孤児院を信仰によって運営し続けたジョージ・ミューラーという人は、愛する奥さんを失った時にこう言いました。

「もし妻をもう一度連れ戻すことが、この世で一番簡単なことであったとしても、私はそうするつもりはありません。神ご自身がそうされたのですから。私たちは主にあって満足するのです。」
私は彼のこの言葉に出会った時、大変感銘を受けました。
神ご自身がそうされたのですから、それは最善であり、満足ですと告白できる信仰。これこそ、神がいつでも良いお方(He is good!)だと信頼している姿であると思いました。

神は「あなたの一生を良いもので満たされる。」
なぜなら、神はその本質において、純度100%の愛のお方であるからです。
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2012年07月24日(火) 記事No.16
一生懸命やっているのに、かえって事態が悪くなっているように思えることがあります。

出エジプト記5:22
「主よ。なぜあなたはこの民に害をお与えになるのですか。何のために、私を遣わされたのですか。」


神様から、エジプトで苦役に苦しむ同胞のイスラエル人を救うために声をかけられたモーセでした。しかし、モーセがエジプトの王ファラオのもとを訪れ、苦役を減らすよう話したとき、彼の怒りを買いますます苦役がひどくなるという事態になりました。

神様がおっしゃったとおり、忠実にしていることなのに、なぜ、あなたはこの民をますます苦しめるのか?
何のために、私は遣わされているのでしょうか?

モーセにはそのような悲痛な叫びがありました。

私たちもまた、自分がここに来てから事態が悪くなった。
自分がいない方がむしろ良いのではないか?
自分はいったい何のために、ここで頑張っているのか?

そんな自己譴責のような思いに悩まされることはないでしょうか。
しかし、6章1節に主なる神様の答えがあります。
「わたしがパロ(ファラオ)にしようとしていることは、今にあなたにわかる。すなわち強い手で、彼(ファラオ)は彼ら(イスラエル人)を出て行かせる。」

「今はわからない。しかし、今にわかる
私たちが今していることについて、実はまだ結論は出ていないのです。
どんな良いものも、労苦なくして生まれては来ません。お産に10カ月の忍耐と、備えが必要なように。産みの苦しみを通して、子への愛着も生まれるように。そこには意味があるのです。

目の前の現実を見てあきらめるのではなく、「今にわかる」と言われる神を見上げていきましょう。




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