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  • 2012年10月 の記事一覧

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2012年10月25日(木) 記事No.28
雑誌「リバイバルジャパン」にて、立川教会の高橋秀典師が連載中の「お金と信仰」を興味深く読ませていただきました。

 生活保護の問題を取り上げ、不正の可能性の排除のために政府が徹底的に管理していることが、かえって問題を引き起こしているとの指摘がありました。印象的だったのは福祉の方向性が「働く意欲が無い人も平安に生きられるような社会」を目指す方向に向かっているのではないかとのご意見。問題が起こる前に政府が先回りして、規制を強めることによって、自主的に自己責任をもって働いていこうとする意欲をかえって奪ってしまっているということでした。

働いても、働かなくても暮らしていけるのなら、働かない道を選んでしまう人が必ず出ることでしょう。努力しても、努力しなかった人と同じ報酬であるなら、努力の意義も失われてしまうでしょう。神様は私たち人間をご自身のかたちに創造されました。それはまさに、神様のご性質に似せて、自主的に、創造的に、愛をもって歩んでいけるようにとの恵みです。私たちの社会が自らその恵みを放棄し、厳しい管理体制の中で自主性を失って生きるとしたら、なんとむなしいことでしょうか。

 規制を必要以上にすることは、かえってその自浄作用を失わせることになるというご意見にとても教えられました。確かにその通りで、良いものを生み出しているなら、それは人々から支持され長く続くし、自分の利益だけを求めるような働きはやがて人から見放されてしまうことでしょう。カナダに旅行した時に、森林火災についての話を聞いたことがあります。自然による山火事が起こった時に、消化をしてはいけないと言うのです。それは、一種の自浄作用であって、自然に鎮火するものであり、その事によって古い木々が焼かれ、森が新しく再生していくそうです。人がもし神を信じて歩むのなら、神の創造の初めからある絶妙なバランスをもっと信頼して良いのかもしれません。

神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。(ガラ6:7)

自分のしていることの結果を自分で刈り取ることがなければ、私たちの成長はありません。自主的に何かをなし、その結果を自己責任で受け取る。その当たり前の事の中に、神様の秩序とそこにある恵みを感じます。
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2012年10月10日(水) 記事No.27
教会の修養会が持たれました。河口湖に近い自然に囲まれた施設で、ゆっくりとした時の流れを感じ、また主にある兄弟姉妹との交わりにいやされ、励まされました。

今回のテーマは「True Story」。

それぞれがどのように神様と出会い、またどのようにしてこの教会に導かれたのか。そんなことを語り合い、神様の導きの不思議さに心を打たれました。私たちは自分自身のStoryを語り、そこに神様(He)がどのように関わっておられるかを知り、His Story(神の物語)であることを味わいます。それがHistory(歴史)であり、神のご介入を含めた歴史こそ、True Story だと言えるでしょう。

神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの恵みは、むだにはならず・・・(Ⅰコリ15:10)

私たちには辛い経験、悲しい過去もあります。そんな経験などない方が幸せだと思うでしょうか?けれど、それらの試練を通して神様は私たちを育て、「今の私」となるよう導いて下さったのです。傷ついたからこそ、以前より人の痛みがわかる者になります。絶望的と思える状況でも、神様がなんとかして下さることを体験し、あきらめてはいけないことを学びます。挫折を通り、自分の高慢さを神様から示されたゆえに、神と人とに感謝して生きる者になります。私たちのこれまでのStoryを、もう一度神様の目線から語りなおす時、そこにこTrue Story があるのではないでしょうか。あなたが思うよりもずっと、神様の恵みはそこに豊かにあるはずです。
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