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2013年02月06日(水) 記事No.35
携帯からもPCからも利用できる交流サービスのフェイスブックはとても便利な反面、人を疲れさせてしまう一面も持っているようです。米国でフェイスブックの利用調査が行われたとの記事を読みました。それによると、利用者の6割が利用を数週間以上休んだことがあるとのこと。長期に休んでいる人の理由の多くは疲れを覚えてのようです。便利に手軽に交流でき、人はそれで元気に楽しめるはずです。しかし現実は必ずしもそうではないことがわかります。私も最近はインターネット電話での会議が増えています。長距離の移動をして集まる必要がない分、費用も時間も負担が軽減されるはずです。ところが、手軽さのゆえに、時間も無駄に長引き、会議の頻度も上がりました。しかも、顔と顔とを合わせての会議と違って見えないゆえの誤解も生まれやすくストレスが生じます。実は私たちは便利に手軽に交流しようとするゆえに、かえって「ゆとり」や「生身の交流の恵み」を失い、かえって目に見えない疲労を蓄積しているのかも知れません。しかし人間はやはり、顔と顔とを合わせて付き合い、共に「そこにいる」ことの中で愛を確かめ合い、励ましを受けるのではないでしょうか。

「ある人々のように、一緒に集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」(ヘブ10:25)

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2013年01月15日(火) 記事No.34
「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。」(ヘブル人への手紙1:1-2)

 イエス・キリストがこの世界に来られるよりずっと前の時代(旧約聖書の時代)。神様はたくさんの預言者たちに言葉を授け、また夢や幻などを通して人間に語っておられました。しかし、神の御子であるイエス様がこの地に来られた時には、キリストの言葉やわざを通して神は人に語りました(新約聖書の時代)。旧約時代は多くの人によって、様々な方法で語られる必要があったことが、すべてキリストに集約されました。キリストを見れば神の語られてきた事のすべてがわかる。まさに、神のお姿そのものであるキリストが私たち人間のもとに来られたことは驚くべき恵みです。人の姿であるからこそ、私たちの模範になります。人の姿だからこそ私たちと同じ制約、痛み、弱さを身にまとっていることになります。そのキリストの生き様そのものが私たちへの神様からのメッセージなのです。なんとわかりやすく、なんと温かい命の通ったメッセージでしょうか。神である方が人となって、その愛のメッセージを生き様全体で語っておられる。この方を見続けることこそ、神の愛を知ることなのです。どうかあなたも、神のメッセージの目に見える現われであるイエス様を通して、しっかりと愛のメッセージを受け取って下さい。
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2012年12月18日(火) 記事No.33
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。(ルカ2:11)

 世界で最初のクリスマスがここに語られています。クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う時です。ですから、本物のクリスマスを体験するためには、イエス様がどのようなお方なのかを知ることが大切です。イエス様は、世界でただひとり、死ぬことを使命としてお生まれになりました。人は生きるために生まれるものですが、主イエス様は、人を生かすためにご自分のいのちをささげようと降誕されたのです。私たちは誰もが生まれながらに罪人です。神である方を神としてあがめず、己を神として自己中心的に生きているのです。その罪のゆえに、争いが起こります。子どもが学校の道徳の授業で習ったそうです。戦争はどこか遠いところで起こっているのではなく、自分の周りで起こっている。友達や兄弟と物を取り合いしたり、権利を主張し合って喧嘩をする。これが戦争の始まりなのだということです。譲れない、赦せない、謝れない。そのような私たちではないでしょうか。これらの罪の結果、私たちが互いに傷つき、むなしく滅んでいくことを神様はとても悲しまれました。私たちをその罪の支配から解放しようと、御子イエス様を遣わし、そのいのちをささげて下さったのです。
 クリスマスは、罪を自覚するすべての人のための神様からの贈り物です。罪の支配から自由になって、感謝と安心と喜びのうちに歩んでいけるように!どんな高価なプレゼントをもらっても、私たちの心に光がないのならむなしいばかりです。しかし、神様からのプレンゼントはあなたの心を暖める愛と喜びに満ちたプレゼントです。
 
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2012年12月06日(木) 記事No.32
「それゆえ、今王たちよ、悟れ。地のさばきつかさたちよ、慎め。」(詩篇2:10)

 詩篇の2篇には、やがて地上に降る御子イエス・キリストについての預言があります。彼こそが真の王であり、地の果てまでその所有権を持ち、神に逆らう権力者たちを打ち砕くという内容が語られています。この地上には、神をも恐れぬ権力者があふれています。けれども神様は、真の王は誰であるかを知ってわきまえるようにと教えておられるのです。王たちよ悟りなさい。慎みなさい。恐れつつ主なる神様にあなたがたも仕えなさいと語られています。どんなに栄華を誇った権勢も必ず滅びます。王は次々と代わり、世界も変わっていきます。しかしながら、まことの王であるキリストは、とこしえに変わることなくこの世界のすべての統治者です。私たちに求められていることは、神を恐れて謙遜になることです。

 かつて、本田弘慈先生が社会人になりたての私の友人にこの言われたそうです。「社会人は謙遜が大事」。私も牧師になりたての頃にとある先生からいただいたアドバイスは「謙遜になり教会に仕えよ」ということでした。王たちさえも、神の前に慎め、恐れつつ主に仕えよと語られているのですから、私たちもまたおごりを捨てて神の前に謙遜に歩ませていただきましょう。

「幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。」(詩篇2:12b)

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2012年11月21日(水) 記事No.30
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は何をしても栄える。(詩篇1:3)

 ここにある「その人」とは、前節までに語られている「神の教えに生きることを喜びとする人」です。この世界には、色々な法則があります。ボールを地面に落とせばバウンドし、何回かのバウンドの後にボールは静止するという法則。また、体を鍛えれば、筋力が増強されより強い力を発揮できるようになるという法則。そしてここにあるように、水路のそばに植えられた常緑樹は、十分な水や栄養を摂取して、実を豊かに実らせ、葉も青々としていくという法則です。同様に、私たち人間が充実した幸せな日々を送っていくための法則、道筋があるのです。私たちの創造者である神様は、私たちが幸せに歩んでいくためのルールとして、創造主なる神の教えに生きることを教えておられます。私たちの幸せのために備えられた、神の教えを心から歓迎し、それをいつも忘れずに心に留めて生きる人は、時が来ると豊かに実を実らせ、葉も青々と生い茂り、いつまでも生き生きとしていることでしょう。

聖書は、その人は何をしても栄えるとさえ約束しています。現代の世は、何を頑張っても上手く行かないということも体験する時代です。八方ふさがりで、どうしたらいいのか分からなくなります。けれども、どこにいようと、何をしていようと、神の教えをいつも自分の最高の知恵として生きる人は、環境に左右されずに神の祝福を受ける者なのです。誰にもこれを妨げることはできません。この確信は、私たちにとってどれほど心強い拠り所でしょうか。不確かな時代に、確かな幸せの法則を持って生きられるとはなんという恵みでしょうか。
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